今日はMステを見てました。
夏うたランキングに麻衣ちゃんの「Feel fine!」やELTの「出逢った頃のように」、さらに伊藤由奈さんなどがランキングに登場しましたね。
夏うたランキングに麻衣ちゃんの「Feel fine!」やELTの「出逢った頃のように」、さらに伊藤由奈さんなどがランキングに登場しましたね。
そして今日のMステでは、ランキング以外にも特別な企画がありました…。
ZARDの坂井泉水さんを偲んで、あの「負けないで」を当時Mステで歌ったときをフルコーラスで放送してくれました。
あと、『OH MY LOVE』アルバム用のPV撮影に、Mステのスタジオとスタッフを使ったと聞き、Mステと泉水さんとのゆかりを知りました。
泉水さんの在りし日の姿と、また知らなかったエピソードを知り、涙してしまいました(;_;)
1ヶ月以上経ち、悲しい気持ちと決別したいと思ってますが、ここで泉水さんの歌ってる姿を見ると、やはり涙目になってしまいました…。
ところで、今週は僕自身に色々あって、まだ音楽葬を終えた気がしていません。
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6月3日、泉水さんの為に大阪まで献花に行ってきました。
この献花台は5月31日までとゆうことで、当初は行くのは完全に諦めてました。
ところがその後、ファンの為に6月3日(日)まで献花台を延長してくれると知りまして、これならもしかして行けるんじゃないかと望みが出てきました。
ただ、僕の会社はあまり日曜日は休めないので、それでも諦めようかと思いましたが、献花に行かなかったら後悔すると思い、行く方向で考えてました。
そして日曜日が休みかどうか分からないので前もって休みを取りました。前もってとはいっても、実は土曜日に言いましたが(苦笑)
予備日も含めて2日休ませてもらいましたよ。
大阪ということなら、あの麻衣友さんにもお会いできるかも知れないと、相談をしようと思いましたが、
たまたま、僕の妹に泉水さんの献花に行くとゆう話をしましたら、同行すると言いましたので、今回は麻衣友さんにお会いすることは諦めました…。
当日の朝は早めに起きまして、東名阪自動車道に乗り、名阪国道(国道25号)を通るルートで行きました。全国的に有名な道路なので説明はいりませんね。
こちらの地方(東海地方)から大阪に行く場合、名阪国道の区間は一番距離が長く、しかも無料なので、名神高速を使うルートより片道千円以上安くなります!
名阪国道の区間が終わると、自動的に西名阪自動車道(有料)となります。
西名阪はそのまま阪神高速に繋がってまして、僕はなんば出口で出ました。
大阪ではまずGIZAビルの位置を確認しました。表から泉水さんの遺影も記帳所も確認できましたが、その前に献花用の花を買いに行きました。
適当にGIZAビルの周りを走りましたがどうしても花屋がわからず、結局、心斎橋のそ○うまで行って買いました。
献花の花を買ったときにメッセージカードを頂きまして、GIZAビルに入る前、それに、
あなたの残してくれた名曲の数々、永遠に忘れません…
安らかに眠ってください。
と書きました。
そしていよいよGIZAビルに入りまして、正面の献花台へと行きました。
泉水さんの遺影をみたら、すこしきてしまいましたが、スタッフにお花を渡し、よろしければ記帳していってくださいとの事で、名前と住所を書きました。
しばらく、後方から遺影を見ていましたが、スタッフの女性が“よろしければあちらにメッセージをお書きください”と言ってくださり、横のテーブルに行きました。
ここには、色々なサイズのスケッチブックが用意されてましたが、僕はやや小さいサイズのにメッセージを書かせてもらいました。
麻衣友の皆さんの想いも一緒にと思うと、けっこう緊張しました…。
坂井泉水さんへ
僕が初めてZARDの曲を知ったのは「眠れない夜を抱いて」です・・・・(大部分略)
今まで残してくれた名曲の数々、永遠に忘れません。
どうか安らかに眠ってください…。
と書かせてもらいました。
でも、一度しか書けない大事なメッセージなのに字が震えて読みにくくなってしました…。
そしてスタッフの許可を得て、献花台と正面の遺影、そして思い出の映像を流してるテレビと、横やガラス越しの在りし日の泉水さんの遺影なども撮らせてもらいました。
しばらく、そのまま遺影や思い出の映像を見てましたが、泣くのをこらえてまして目が真っ赤になってきました…。
こうして多くのファンが感傷に浸ってるのに、初対面のファンとベラベラと話してる方がいまして、“あの曲は本当にいいですよね。特に歌詞の・・・”とか色々言ってました。それはいいんですけど、もう少しお静かにお願いしたいですね…。
さらにその方は、本当かどうかは分かりませんが“既にアルバムの曲のレコーディングも済んでる”とか言ってまして、その時は僕も気になりましてその方を見てしまいました。
それって、本当ですか?? 気になります!
そして、いよいよ泉水さんのいるGIZAを後にしました。
泉水さん、いよいよこれでさよならですね…。
短かったけど40年の人生、そして15年間のアーティスト活動、本当にお疲れ様でした。
きれいな歌声と数々の名曲を我々に届けてくれて、本当にどうもありがとうございました。
車に戻る足取りは、惜しさもあってとても重かったです。
さて、時間は13:40分くらいとなりまして、飯屋をさがしました。
そころが、無いですねぇ…。新今宮駅や、天王寺まで足を運びましたが、諦めて結局、コンビニ弁当となってしまいました。
せめて喫茶店でもあると良かったのですが、関西に喫茶店はありません。
名古屋は至る所に喫茶店があるのですが…。
そして、阪神高速・夕陽丘入り口かな乗りまして、大阪の街を後にしました。
この時の時間は、14:40くらいだったでしょうか…。
帰りはもちろん、行きと全く同じルートです。
家(実家)に帰り着いたのは、18時くらいでした。
こうして大阪のGIZAまで行った事で、泉水さんと直接お別れが出来た気がして、いくらかすっきりしました。
この献花台は5月31日までとゆうことで、当初は行くのは完全に諦めてました。
ところがその後、ファンの為に6月3日(日)まで献花台を延長してくれると知りまして、これならもしかして行けるんじゃないかと望みが出てきました。
ただ、僕の会社はあまり日曜日は休めないので、それでも諦めようかと思いましたが、献花に行かなかったら後悔すると思い、行く方向で考えてました。
そして日曜日が休みかどうか分からないので前もって休みを取りました。前もってとはいっても、実は土曜日に言いましたが(苦笑)
予備日も含めて2日休ませてもらいましたよ。
大阪ということなら、あの麻衣友さんにもお会いできるかも知れないと、相談をしようと思いましたが、
たまたま、僕の妹に泉水さんの献花に行くとゆう話をしましたら、同行すると言いましたので、今回は麻衣友さんにお会いすることは諦めました…。
当日の朝は早めに起きまして、東名阪自動車道に乗り、名阪国道(国道25号)を通るルートで行きました。全国的に有名な道路なので説明はいりませんね。
こちらの地方(東海地方)から大阪に行く場合、名阪国道の区間は一番距離が長く、しかも無料なので、名神高速を使うルートより片道千円以上安くなります!
名阪国道の区間が終わると、自動的に西名阪自動車道(有料)となります。
西名阪はそのまま阪神高速に繋がってまして、僕はなんば出口で出ました。
大阪ではまずGIZAビルの位置を確認しました。表から泉水さんの遺影も記帳所も確認できましたが、その前に献花用の花を買いに行きました。
適当にGIZAビルの周りを走りましたがどうしても花屋がわからず、結局、心斎橋のそ○うまで行って買いました。
献花の花を買ったときにメッセージカードを頂きまして、GIZAビルに入る前、それに、
あなたの残してくれた名曲の数々、永遠に忘れません…
安らかに眠ってください。
と書きました。
そしていよいよGIZAビルに入りまして、正面の献花台へと行きました。
泉水さんの遺影をみたら、すこしきてしまいましたが、スタッフにお花を渡し、よろしければ記帳していってくださいとの事で、名前と住所を書きました。
しばらく、後方から遺影を見ていましたが、スタッフの女性が“よろしければあちらにメッセージをお書きください”と言ってくださり、横のテーブルに行きました。
ここには、色々なサイズのスケッチブックが用意されてましたが、僕はやや小さいサイズのにメッセージを書かせてもらいました。
麻衣友の皆さんの想いも一緒にと思うと、けっこう緊張しました…。
坂井泉水さんへ
僕が初めてZARDの曲を知ったのは「眠れない夜を抱いて」です・・・・(大部分略)
今まで残してくれた名曲の数々、永遠に忘れません。
どうか安らかに眠ってください…。
と書かせてもらいました。
でも、一度しか書けない大事なメッセージなのに字が震えて読みにくくなってしました…。
そしてスタッフの許可を得て、献花台と正面の遺影、そして思い出の映像を流してるテレビと、横やガラス越しの在りし日の泉水さんの遺影なども撮らせてもらいました。
しばらく、そのまま遺影や思い出の映像を見てましたが、泣くのをこらえてまして目が真っ赤になってきました…。
こうして多くのファンが感傷に浸ってるのに、初対面のファンとベラベラと話してる方がいまして、“あの曲は本当にいいですよね。特に歌詞の・・・”とか色々言ってました。それはいいんですけど、もう少しお静かにお願いしたいですね…。
さらにその方は、本当かどうかは分かりませんが“既にアルバムの曲のレコーディングも済んでる”とか言ってまして、その時は僕も気になりましてその方を見てしまいました。
それって、本当ですか?? 気になります!
そして、いよいよ泉水さんのいるGIZAを後にしました。
泉水さん、いよいよこれでさよならですね…。
短かったけど40年の人生、そして15年間のアーティスト活動、本当にお疲れ様でした。
きれいな歌声と数々の名曲を我々に届けてくれて、本当にどうもありがとうございました。
車に戻る足取りは、惜しさもあってとても重かったです。
さて、時間は13:40分くらいとなりまして、飯屋をさがしました。
そころが、無いですねぇ…。新今宮駅や、天王寺まで足を運びましたが、諦めて結局、コンビニ弁当となってしまいました。
せめて喫茶店でもあると良かったのですが、関西に喫茶店はありません。
名古屋は至る所に喫茶店があるのですが…。
そして、阪神高速・夕陽丘入り口かな乗りまして、大阪の街を後にしました。
この時の時間は、14:40くらいだったでしょうか…。
帰りはもちろん、行きと全く同じルートです。
家(実家)に帰り着いたのは、18時くらいでした。
こうして大阪のGIZAまで行った事で、泉水さんと直接お別れが出来た気がして、いくらかすっきりしました。
この記事をもって、ZARDへの気持ちを切り替えようと思います。
今回も麻衣コミュに登録のメインのブログと同じ内容で、さらに他に利用してます完全招待制のSNSサービス内の日記でも同じ記事を投稿させてもらいました。
今回も麻衣コミュに登録のメインのブログと同じ内容で、さらに他に利用してます完全招待制のSNSサービス内の日記でも同じ記事を投稿させてもらいました。
前回の記事では、ちょっと稚屈な表現が多い記事を書いてしまい、失礼しました。
でも入力ミス以外の修正はしていません。 その時の気持ちを表現した記事として記念にしたいと思ってます。
そして、皆さんもおっしゃてるように、いつまでも悲しんでいては駄目ですよね。そのような事は泉水さんは望んでる訳ありません!
僕も、この記事をもって、ZARDの話に一区切りつけたいと思ってます。次回は、6月27日(水)に青山葬儀所で行われる“ZARD・坂井泉水さんを偲ぶ会”の後に、まだZARDの話を書こうと思います。
あの訃報から4日経ち、かなり落ち着いてきました…。
昨日くらいまではZARDの曲を聴きながら泣いてましたが、今では泣くこともなくZARDの曲を聴いてます。
そして5月29・30日には、親族だけの密葬ではありましたが、お通夜も葬儀もしめやかにとり行われ、このことは今日の新聞報道でも書いてあります。
麻衣コミュでも、ほとんどの方が記事にされたほど皆さんに愛されたアーティストであったZARD…。今でも泉水さんの訃報が信じられないとお思いの方もいらっしゃると思います。
僕がZARDを知ったのは、確か1992年の「眠れない夜を抱いて」だと思いました。
過去のシングルを借りたカセットを探したところ、タイトルが“シングル曲集1992(2)とゆうの中に入ってます。他のBeing系では「じれったい愛」「ZERO」「DA・KA・RA」等と一緒に録音されてました。
通常のトラックとは別に「眠れない夜を抱いて」のインストも録音してありました。僕は諸事情から歌を歌えませんので、カラオケ目当てではありません。おそらく(Being系の)サウンドにも惹かれたからだろうとと思います。
この当時でもB'zは特別だったので、この時期のカセットを見てみても、B'zの次にZARDに関心があったように思います。
僕の持ってるZARDのCDで一番古いのは、「IN MY ARMS TONIGHT」です。これは多分「眠れない夜を抱いて」をレンタルして、ZARDの世界に惹かれたからだと思います。
あの訃報の後、改めてラックや引き出しを捜して見ましたら、けっこう出てきました。これだけじゃないと思いますが、これが発見できたZARD関係の音源です。
カセットがあるのに驚くかもしれませんが、当時はMDはまだまだ普及していなくてカセットの時代でした。この写真にはありませんが、DATも使ってました。
僕はMDには95年くらいから乗り換えはじめまして、MDに録音したのは「ZARD BLEND」とBEST~軌跡です。
ここに出したのはシングルを録音したやつの一部でして、実はかなり以前に多くのカセットを紛失しまして、この中にZARDが含まれていたと思います(><)
B'zとZARDだけじゃなく、本当に90年代のBeingは輝いてまして、ほとんどはレンタルですが、8cmCDシングルを中心に沢山買たりもしました。
作家も明石昌夫、葉山たけし、織田哲郎等、共通でしたね。
レーベルは、B-Gram RECORDSやZAIN RECORDSだけじゃなく、パイオニアLDCだったり東芝EMIだったりBMGルームスだったりですが、クレジットにはちゃんと“Produced by DAIKOH NAGATO(Being)”と書かれてあります。
これらのCDは、これで保有してる全てかは分かりません。引越しの際にクチャクチャになってましたので(苦笑)
まぁBeingに限らずCDは数え切れない程ありますので…。
そんな大好きなBeing系の中でも、やはりZARDは特別な感じで聴いていたと思います。きれいな歌声と歌詞
は、誰が聴いてもとても魅力的のはずです。
僕の好きなボーカルのタイプとしてもツボにはまってまして、これも今、麻衣ちゃんを応援する原点ですね。
麻衣ちゃんと共通する部分としては、透明感があっても線の細さ、はかなさもありながら、ちょっとクールでタメが効いてる部分もあるように思います。しかも歌詞だって、ZARDも麻衣ちゃんも人生をいつも応援してくれるほどの内容が凄く似てると思います。
そしてZARDの歌詞ですが、等身大の応援歌とも言える歌詞に、多くの皆さんが人生の重大な時期に励まされ勇気付けられたそうですね!
それが例えば恋愛だったり、進学や就職だったりと、さまざまなシチュエーションで当時聴いたZARDの曲と時が重さなり、今回の訃報で心を痛めてると思います…。
ただ、僕にはZARDで癒された経験はあまり無いように思いました…。
それでも、素敵な歌詞には魅力を感じたし、メロディーともとても合ってるような気がして、自然に聴けるんですよね。リラックスしてるときでも車に乗ってる時でも気軽に聴ける親しみやすさがあったと思います。
その理由もあってか、これまで変わらずシングルが出るたびにレンタル中心で欠かさず聴いてました。
そして、実はこれが一番の魅力なのかも知れませんが、その人間性の良さは、泉水さんはひときわ輝いてるものがあると思います。
ZARDが最盛期の時でも、スター気取りにようなものは微塵も無かったそうで、しかも訃報の際のサンスポの報道にもあるように、2004年のライブに来てくれた麻衣ちゃんや里菜ちゃんのような後輩にも、直接会って気さくに話す所もあるようで、これは知らなかったのですが、改めて泉水さんの人柄の良さを知りました!
そして、ZARDのファンサイトで読ませてもらった逸話もありまして、泉水さんが亡くなってしまった病院に入院中にも、泉水さんの気さくな人柄が垣間見れる事もあったそうです(ファンサイトの許可を取ってないので詳しいお話はできません)
この人間性の良さも、麻衣ちゃんと似てるんじゃないかなって印象を持ってます。
とにかく、それらの理由もあってか、これまで変わらずシングルが出るたびにレンタル中心で欠かさず聴いてました。
そんなZARDの歌詞で、今の悲しい気持ちを一番落ち着かせてくた曲があります!
それは最近の曲で偶然にも好きな、
「悲しいほどに貴方が好き」 「カラッといこう!」
です。
これらの曲に説明は要りませんね。
訃報が伝えられた日はZARDのいかなる曲を聴いても泣いてしまいましたが、今では「カラットいこう!」で励まされてる程、悲しみは回復してきています!
とくに、歌詞の中の、
“終わったわけじゃないヨ まだ始まってもいない 幻はいつまで続く?
右手の指に輝くダイヤモンドは 決して高価なものじゃなくても 0.1カラット(ct:)もなくても 花のように輝いてる
カラッといこう! さぁみなさんBig News(ニュース)です 朝日に向かって目覚めましょう
カラッといこう! 無敵の強さを持って every night,everytime,everywhere,SHINE!”
泉水さんが亡くなったのは、幻じゃありませんが、僕にはいつまでも悲しんでないで、悲しみに打ち勝つ無敵の強さで、いつでも、いつまでも輝いてくださいって言ってくれてるようにも思えてきます!
今は、ZARDしか聴いていません。追悼の意味もこめまして、しばらくはZARDオンリーで聴こうと思ってるのですが、残念ながら今手元にある音源は上記のシングルとベスト関係しかありません。
カセットも紛失してしまい、今になって、もっともっとZARDを聴きたいと思っても、CDショップやレンタル店でも品薄が続いて、どうすることもできません(><)
そこで、Being GIZAにぜひとも要望したいことがあります。それは、
今後、ZARDのコンプリートBOXの発売をお願いしたい。
つまり、全てのアルバムCDをジャケットもそのままとして、秘蔵写真、そしてヒストリーも書かれたライナーノーツなども封入して、デジタル・リマスタリングを施し、名曲を最高の音質で甦らして欲しいです!
値段は問いません!例え10万円近い値段でも、絶対買います。
長くなってしまいましたが、僕にも皆さんにもZARDが残してくれた財産(音楽)は、これからも心の中で光り輝いてくれるはずです。
泉水さん、15年の間で駆け抜けたアーティスト人生、本当にお疲れ様でした・・・。
どうしてこんな事になってしまったのか、今の時点では信じたくない気持ちです!
麻衣ブロガーさんの多くも坂井さんの訃報を記事にされてますが、もちろん、このような事で記事を更新するのは、とてもつらいだろうと思います(><)
僕自身、今まで多くの好きなアーティストとの別れを経験してますが、それはアーティストの都合(結婚や廃業等)が全てでして、亡くなるとゆう形での別れは、この歳で初めてです。
僕がこのニュースを知ったのは、会社で食事中にNHKニュースを見ている最中でした…。
人気アーティスト「ZARD(ザード)」のボーカル、坂井泉水さん(40)が、がんの治療のため入院していた東京・新宿区の病院で階段から転落して頭を強く打って死亡しました…。
・・・・・・・・・この瞬間、うそだろっ、どうして!? って叫んでしまいました。
この後、どうしようもない気持ちになり、社用車を借りてすぐに家に帰って、ニュースを確認して麻衣友さんにもメールで大変な事になってしまい悲しいですと、僕の気持ちをお話しました。
家に帰る途中は、もう半泣きでした…。
ただ、仕事を途中で切り上げることはできないので、すぐに会社に戻り、残りの仕事を続けました。
もちろん、まともに仕事が出来るわけはありません! 最後まで集中できませんでした。
こうしてる今でも、信じられません。
そもそも、泉水さんが入院してる事も、このニュースで初めて知りました。
一部のスポーツ新聞では、自殺の可能性もあるような事も書かれてありましたが、家に帰ってきて詳しくニュースサイトを見たりオフィでのコメントをみさせてもらってると、入院中でもアーティスト活動に前向きで、アルバム制作に向けて準備を始めてると知り、どう考えても自殺なんてありえないと思いました!
こんな形で亡くなるなんて、泉水さん本人も悔いが残り過ぎ、死んでも死に切れないはずです…。
僕はまだ、“ご冥福をお祈りします”って気持ちにはなれません。
ZARDとしてデビュー15周年を迎えて、これからの活動も期待していたた矢先なので、音楽ファンとしてもう残念としか言いようがないです…。
今はZARDの曲を聴きながら記事を書いてますが、涙が止まりません…。
僕もようにZARDをリアルタイムで聴いてきた30代~40代の皆さんにはもちろん、もっと若い方にも愛されたZARDの曲は、どれもいい曲ばかりで、さまざまなBeing系アーティストとともに、数え切れないほど聴きました。
皆さんは、今どの曲が思い出されますか?
まず第一に「負けないで」「揺れる想い」「永遠」が思い出されるかも知れませんね…。
僕は「Good-by My Loneliness」「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」「息もできない」「君に逢いたくなったら…」「MIND GAMES」・・・
これらの曲が、まだまだつい先日のように思い出します。
今聴いてる「カラッといこう!」は、朝から頑張れるとても前向きな曲なのに、こんな悲しい気持ちで聴くことになるなんて、こんな事ってないです(><)
まだ気持ちが落ち着きません。坂井泉水さんが亡くなったのを信じたくないです。
明日、起床したら何事もなかったことにして欲しい・・・